会社員として働き、起業に挑戦し、そして二度の挫折を経験しました。
決して順風満帆な道のりではありませんでした。迷い、悩み、うまくいかない時期もありました。
それでも、祖父母との時間をきっかけに、改めてふるさと大館と向き合うようになりました。
失敗を知り、悩みながらも、そのたびに自分にできることを選び直してきた一人の市民です。
だからこそ、市民の皆さま一人ひとりの声を大切にしながら、子や孫の世代が誇れる大館をつくりたい。
その思いが、27歳で全国最年少市長(就任時)として歩み出す原点になりました。
生まれてから、市長に就任するまでの歩みです
私は大館市で生まれました。
幼い頃、父の仕事の都合で大館を離れることになりましたが、祖父母のいる大館は、私にとっていつも心のどこかにあるふるさとでした。
学生時代の私は、将来の夢をはっきり描けていたわけでもなく、自分の進む道に迷うこともありました。それでも心のどこかには、「いつか自分の力で何かに挑戦してみたい」という思いがありました。
高校卒業後、私は就職という道を選びました。東京地下鉄株式会社に入社し、社会人としての一歩を踏み出します。
大きな組織の中で働く日々は、社会の厳しさを知る時間でもありました。同時に、現場で働く人たちの責任感や、組織が動く仕組みに触れる貴重な経験でもありました。
その後、DMMアカデミーやDMM.com経営企画室などで働く中で、事業をつくる人たち、社会に新しい価値を生み出そうとする人たちの姿を間近で見るようになりました。
自分も、いつか挑戦する側に立ちたい。誰かがつくった道を歩くだけではなく、自分で考え、自分で動き、自分で責任を持って何かを生み出してみたい。その思いは、日に日に強くなっていきました。
そして20歳の時、私は起業という道を選びました。十分な経験があったわけではありません。確かな勝算があったわけでもありません。それでも、失敗を恐れて何もしないより、自分の可能性を信じて一歩踏み出したい。その思いが、私にとって初めての大きな挑戦の始まりでした。
20歳のとき、「自分の力で何かを成し遂げたい」という思いから、渋谷でIT・マーケティング事業を行う株式会社LaTierを起業しました。しかし、事業はわずか約半年で失敗に終わります。悔しさの中で、学び直しの必要性を感じるとともに、スタートアップ企業でインターンに挑戦するためには一定の大学進学実績が必要だと考え、慶應義塾大学環境情報学部のAO入試に挑戦。合格を手にしたものの、入学金を用意することができず、進学を断念することになりました。
やりたいことに挑戦しては、思うようにいかない。そんな遠回りばかりが続いた20歳の頃でした。それでも、このときの悔しさが、後の自分を突き動かす原動力になっていきます。
事業がうまくいかず悩んでいた頃、祖母から祖父の体調が思わしくないと聞き、故郷である大館市へ帰ることを決めました。双子の弟とともに、祖父母と養子縁組し、この街に根を下ろすことになります。
祖父母は、先祖代々受け継いできた土地を売り、私たちがもう一度挑戦するための資金を支援してくれました。ご先祖様が残してくれたものを守り、発展させていく責任が私たちにはある。そう強く感じるようになったのは、この時からです。そしてその責任は、この大館というまちに対しても、同じだと思っています。
これだけ石田家のご先祖様に支えていただいたのだから、石田の名字を継いで頑張ることが、ご先祖様への恩返しになる。そう考えたのは私自身でした。自分から養子縁組を提案し、両親の許可を得て、双子の弟とともに祖父母と養子縁組しました。
祖父母がいつも言ってくれていたのは、2つのことでした。「何があってもご飯だけは食べさせるから、いつでも帰っておいで」ということ、そして「電話番号だけは暗記しなさい」ということです。小さな頃から言われ続けて自然と覚えていたこの電話番号に、実際に助けられたことがあります。弟が中学2年で家出をした時、この教えのおかげで、無事に帰ってくることができました。
遠回りをしてたどり着いたこの街で、あらためて大館の温かさを知りました。市長を志したのも、東京と大館での2度の起業経験からこのまちの可能性を知り、このまちの未来を創りたいと考えたからです。
大館に戻ってから、幼少期から好きだったカブトムシを事業にできないかと考えるようになりました。21歳で双子の弟と株式会社TOMUSHIを起業。カブトムシを主軸とした昆虫等による環境リサイクル企業として、少しずつ形にしていきました。
一度大きな失敗を経験したからこそ、今度は弟と支え合いながら、地道に一歩ずつ積み重ねていきました。現在は弟が経営を引き継ぎ、拠点は全国100カ所以上にまで広がっています。
支えてくれたのは祖父母だけではありません。地元の経営者の方からは「地元の熱意ある若者を支援したい、君たちの好きな条件で」と、数千万円ものご支援をいただきました。見返りを求めないその厚意に触れ、大館という街は、挑戦する若者を本気で後押ししてくれる場所なのだと、身をもって知ることになります。
TOMUSHIでの活動を通じて大館の課題や可能性に向き合う中で、「事業だけでなく、政治の力でこのまちを変えていきたい」という思いが、日に日に強くなっていきました。2023年、大館市議会議員選挙に立候補し、最年少(25歳)・最多得票(4,215票)という形で、多くの方に背中を押していただき初当選を果たしました。
そして2024年9月、大館市長選挙に初当選。27歳、就任時現職の全国最年少市長として、このまちのこれからをつくっていく重い責任をいただきました。
この選挙でも、祖父母世代、先輩世代をはじめ、本当に多くの市民の皆さんに支えていただきました。この街の温かさを、あらためて実感した瞬間です。
祖父母は先祖代々の土地を売って、私たちの起業資金を支援してくれました。地元の経営者の方も、条件をつけずに数千万円を支援してくださいました。選挙でも、祖父母世代・先輩世代の多くの市民の皆さんに支えていただきました。
少子高齢化は、悪いことばかりではない。
そのことを、私は誰よりも知っています。だからこそ、少子高齢化の対義語として、「子や孫世代と共に栄える大館」という言葉を、自分の手でつくりました。祖父母世代・先輩世代から受け取った支えを、今度は子や孫の世代へつないでいく。それが、私の目指すまちづくりです。
有事はトップダウン、
まちづくりはボトムアップ。
災害の時は現場に行き、その場で判断する。平時は地域を回り、市民の声から政策をつくる。挫折と遠回りを重ねてきたからこそ、机上の判断ではなく、現場の声を何よりも大切にしています。
公務の合間には、一児の父として娘との時間を大切にしています。市民の皆さんと同じように子育てをする一人として、大館で子育てをする方々の気持ちに、これからも寄り添っていきたいと思っています。
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